永遠のスーパースター、ブルース・リー ・・

永遠のスーパースター、ブルース・リー      
Image死後34年を経て、なおも世界中の人々を魅了する“伝説のヒーロー”は、ウェイトトレーニングに打ち込み、格闘術、アクション映画に“革命”をもたらした!

伝説的存在”という言葉は、最近はあまりにも軽々しく使われているかもしれない。本来は、人々に絶大な影響を与えた人物だけに使われていた言葉が、商業主義的なマスメディアの使用によって価値が薄められ、重みが失われてきているかもしれない。
しかし、この半世紀を振り返ったとき、ブルース・リー(1940〜73)ほど、この“伝説的存在”という言葉がふさわしい人物はいないことがわかるはずだ。電光石火のスピードと、自ら考案した格闘スタイルである“ジークンドー”を武器に、リーはほぼ独力で、“格闘系映画”のスタイルを塗り替え、武術を世界に知らしめ、世界中の映画ファンを魅了したのだ。
それは、まだ人々のフィットネスへの関心は低く、アーノルド・シュワルツェネッガーも注目される以前であり、フィットネスクラブで汗を流す人など珍しかった時代のことなのだ。そんな時代に、リーはその格闘技術と体に磨きをかけ、世界で初めて、真のアクションスターになったのだ。
細いが筋肉質で、見事なストリーションが全身に走る身長170cm、体重135ポンド(61.2kg)のリーの体は、後の世代に残した遺産として、もっと高い評価を受けてもいいだろう。筋力、スピード、そしてパワーの向上に少しの妥協もなく取り組んだ結果、リーは筋肉の潜在能力を強く意識するようになり、その限界を超えようと苦心を重ねた。
リーは、時代のはるか先を行った、驚異的な体の持ち主だった。怒りに満ちた表情でパワーを全開させると、その体はスクリーンに生き生きと映し出された。敵を倒すたびに躍動する筋肉は、猫のような雄叫びによっていっそう迫力を増した。リーの死後、ボディビル界にも多くの驚異的な体の持ち主が現れた。だが、リーの筋肉、バランスのとれた骨格は、体を評価する判定基準の一つとなった。現在活躍するボディビルダーでさえ、リーの体を“コンディショニングの理想”と考えているくらいなのだ。
リーの最も素晴らしい点は、若すぎるその死から35年近くが経過しているのに、“伝説的存在”としての名声がまったく衰えず、むしろ評価が上がっていることだろう。世界で最も有名で、最も尊敬されている武術家がリーであることは疑いの余地がない。いわば、“武術界のアーノルド・シュワルツェネッガー”なのだ。驚くべきことに、リーは彼が武術で説く教えを、ウェイトトレーニングで実践するだけで、あの凄まじい体をつくり上げたのだ。その教えとは、「効果のあるものだけを使え。そして、場所を問わずそれを探せ」というものだった。
リーがどのようにして“ドラゴン”の体をつくり上げていったのか、その経緯を見ていこう。

アクション映画スターの肉体
今でこそ、アーノルド・シュワルツェネッガーやシルベスター・スタローン、ジャン・クロード・ヴァン・ダム、ドゥエイン・“ザ・ロック”・ジョンソンなど、アクション映画のスターがスクリーンでその肉体を披露することは珍しくない。だが以前は違った。ジョン・ウェインやバート・ランカスターが活躍した1950年代には、“悪漢を一撃でKO”というシーンが常識であり、アクション映画で俳優が裸になる光景はほとんど見られなかったのだ。大柄だが、のっぺりとした体。胸筋よりも、演技力が重視されていたのだ。
  そこに現れたのが、“ドラゴン”、ブルース・リーだった。
1964年、当時ほぼ無名のリーは、カリフォルニア州オークランドで開かれた“ルールのない”非公式の格闘試合で、中国人の武術家、ウォン・ジャックマンを倒した。このとき、リーはすでに詠春拳(カンフーの流派の一つ)で黒帯を取得していた。そかしその試合後、リーは勝利を手にしたにもかかわらず、まるで敗北者のような表情で座っていた。自分のパフォーマンスに失望していただけでなく(相手をもっとずっと早く倒すべきだったと思い、詠春拳の限界も感じていた)、自分の筋力やコンディショニングのレベルの低さを痛感したのだ。対戦相手は、リーのパンチやキックによるダメージをそれほど受けていなかった。また、リーは息も上がっていたし、脚は重かった……。この悔しさをバネに、リーは新たなスタイルの武術家へと、変身を遂げていくことになるのだ。
 「あの試合のあと、ブルースは筋力と持久力の強化にいっそう熱心に取り組み、彼独自の武術をつくり上げていったの。それが“ジークンドー”よ」とリーの妻、リンダ・リー・キャドウェルは話す。
ジークンドーは、そのスタイルを見ると、現在の総合格闘技の原型といっていいだろう。本当の戦いになったら、詠春拳などのカンフーや、そのほかの格闘技に見られる固定した動きでは対応できないことに、リーは気づいていた。一つの武術に固執することには限界があると感じたリーは、ジークンドーを“スタイルを持たない格闘スタイル”と呼ぶようになる。
 「戦いのルーツに立ち返れば、“格闘スタイル”などというものは存在しないことがわかる」と、リーは自らの武術をそう呼んだ理由を説明していた。
リーが稽古に励んだ多くの格闘技術同様、ウェイトトレーニングも、 当時の“伝統武術家たち”の思想とは方向性が180度異なるものだった。伝統的な武術家たちは、体力ではなく、テクニックの重要性をもっぱら説いていた。
 「一昔前は、ウェイトトレーニングをするとスピードが落ちるという考え方が主流だった」と、リーの弟子であり、ジークンドーの伝統を継承するダン・イノサントは話す。
 「武術界では神秘的な面ばかりが強調されていた。私がブルースから教わったのは、“古いスタイルと新しいスタイルを織り交ぜ、自分独自のスタイルを創り出さなければならない”ということだった」
Image また、米陸軍で格闘術プログラムのディレクターを務めるマット・ラーセンは次のように話している。
 「従来の武術体系そのものを変えることに着手したのが、ブルース・リーだった。リー以前の伝統武術家たちは、従来のトレーニングスタイルを変えようとしなかった。筋力やコンディショニングの向上には無関心に近かった。武術のパフォーマンス向上のために誰もが体を鍛えるようになったのは、それから30年も40年も経ってからのことだ」
リーには、筋力トレーニングの経験はそれまでもあった。だが、体を完成させようと新たに決意したことにより、リーは映画界でのスーパースターへの道を切り開いていったのだ。数々の格闘映画に出演したが、リーの成功の原動力となったのは、ハードワークによって得た筋肉だった。そして、リーがつくり上げた“筋肉”の影響で、アクションスターの体にも革命が起きたのだ。

ファイターの体をつくるルーティン
ブルース・リーはウェイトトレーニングの一般的なエクササイズを積極的に取り入れ、あの驚異的な体を完成させた。以下は、リーが精密な“ファイティングマシーン”へと変身するために利用したルーティンの一例だ。

全身の筋力を強化するルーティン
リーはボディビルタイプのこのルーティンを実践し、体を劇的に改造した。リーのようなパワーをつけるために、週3回、このルーティンを試してみよう(ワークアウト間には1日以上の休養をとる)。

エクササイズ セット数 レップ数
クリーン&プレス 8~12
バーベルカール 8~12
ショルダープレス・ビハインドネック 8~12
アップライトロウ 8~12
バーベルスクワット 12~20
バーベルロウ 8~12
バーベル・ベンチプレス 8~12
バーベルプルオーバー 8~12


エリック・ベラスケス Eric Velazquez

(▶ブルース・リーのウェイトトレーニングや栄養摂取について、もっと詳しい内容・写真は『マッスル・アンド・フィットネス』2008年5月号に掲載されています。)

 

 

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