癌に打ち勝ち、トレーニングの喜びをかみしめる |
アンドリュー・カーシュナー Andrew Kirschner 家族も私もショックだった。34歳の頑強な体をした、“トレーニング中毒”というくらいのスポーツマンで、それまで1本のタバコも吸ったことがなかった。それだけに、病気を宣告されてから数日というものは、「なぜ、私がそんな病気になるんだ?」という思いが頭を離れなかった。 私はすぐに化学療法を受けることになった。はじめの4カ月は、食事も固形物は食べられず、185ポンド(83.9kg)あった体重も140ポンド(63.5kg)まで落ちた。頭髪はすべて抜け落ち、体力もなくなり、疲労感につきまとわれた。朝、シャワーを浴びるのも大仕事で、そのあとにはしっかり睡眠をとらなければならないという状態だった。 だが、精神的には、妻と生まれたばかりの可愛い娘をはじめ、家族、友人たちの愛と励ましに支えられて、落ちこまずにいることができた。肉体的には、何とか疲労感をおして、両腕を頭の上に持ち上げて運動したり、両手にウエイトを持っていると想像して、いろいろなエクササイズを頭のなかでやってみたりした。あるとき、「こんな病気で絶対に命をおとしたりはしないぞ」という思いが、一瞬のきらめきのように、しかし非常にはっきりと頭をよぎったことを覚えている。若いし、体力もあるから、この試練を必ず克服して、元気になるという確信があった。 1996年5月になる頃には、腫瘍もずっと小さくなって、化学療法も局部的に行うようになった。したがって、副作用も激減し、体力もゆっくりではあったが、回復し始めた。そうなると、トレーニングを再開することが待ちきれなくなった。妻と2人で自宅の地下室を改装してトレーニングができるようにし、トレーニング用のベンチとフリー・ウエイトを備え、かつて上げていたウエイトで再びベンチ・プレスをすることを夢見ていた。 この年の11月、数カ月間にもわたる心の準備を経たあと、ついに私は、実際にトレーニングができるまでに体力が回復したのだ。まだバーを胸から持ち上げることはできなかったが、それでも嬉しくてたまらなかった。またトレーニングに復帰できたのだ! 再開したトレーニングは、はじめはなかなか進歩しなかった。ウエイトの代わりの小さな板と軽いダンベルを使って一連のエクササイズを行い、萎縮してしまった筋肉をトレーニングした。最初の頃のルーティンは、非常に軽いウエイトでベンチ・プレス、レッグ・プレス、ミリタリー・プレスを1〜2セット行うというものだった。そのあと、ダンベル・ロウ、プルオーバー、カール、トライセップスのエクササイズ、スクワットなども加え、エクササイズの種類を増やしていった。そして、ラット・プルダウンのマシンとサンドバッグも買って、トレーニングに幅をもたせられるようにした。 毎回、トレーニングを行うたびにウエイト、エクササイズ、セット数、レップを増やしていった。体力も持久力も、着々とついてきた。さらに私は、ジョギングまで始めることができた。そして去年の5月には、夢にまで見た自分本来のウエイト、健康だった頃に上げていた200ポンド(90.7kg)の重量でベンチ・プレスするという目標をついに達成したのだ! 生きる喜び 娘は今、19カ月になり、私自身は元気そのものだ。1996年12月を最後に、治療も必要としていない。ほぼ全快に近い健康状態だ。ウエイト・トレーニングとジョギングを続けている。食事には特に注意し、そしていつも前向きの姿勢でいることを心がけている。私は、トレーニングをとおして、体力と精神力が強くなっていったことと、腫瘍がなくなったことの間には直接的な関係があると思っている。私の免疫システムが強力に働き出し、この病気と闘ってくれたのだ。 命を取りとめ、病気をのり越えた今度の経験から、私は多くのことを学んだが、その一つが、日常の生活のどんなことも、それを当たり前と思って生きてはならないということだった。健康で体力があり、トレーニングができ、家族や友人たちと一緒にすごせることに、私は今ゾクゾクするほどの喜びを感じながら毎日を生きている。 体力と精神力が強くなったことと、腫瘍がなくなったことの間には、直接的な関係があると、私は思っている。 私の免疫システムが強力に働き出し、この病気と闘ってくれたのだ。 |
© 2012 xfit—体づくり、フィットネスのためのトレーニング・栄養情報より
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